17日(土)1人で渋谷を1日中ブラブラ・・・。このところずっと身も心も東京から離れていた私は、ものすご〜く久しぶりの渋谷駅に降り立つと、驚くほどに意思を強く持って歩く力を失っていた。まさに人の波に流されるまま外へ・・・思いもつかない場所へ吐き出された。時間は昼12時頃、ちょっとした戸惑いを感じながら、さて特にコレといった目的もないままのこの1日をどう過ごそうかと考えてみたものの、なんだか特定の人に連絡をして会う気分にもなれず、結局狭い範囲をあっち行ったりこっち行ったりとひたすら土曜日の人混みにまぎれ、ただただ時間だけを走らせていた。
そんな1日を過ごしながら『まるで人生そのもの・・・』と、最近何人かの友人と話したことを思いかえしていた。「今、自分は自分の意思で生きていると感じられるか?それともただ流されて生きてるか?」ということ。強い意思を貫き生きることはとても力のいることで・・・多くの人は気がつけば「こんなはずじゃなかった・・・」場所にいて「ところで自分は何の為に生きていて、どうしたいんだ?」と自問自答しながら何かを変えられる人あれば、何も変えられずに苦しむ人あり。
話をした友人のうちの1人は「私はどちら・・・」という話はせずに、こう言った・・・「私には今そんなこと考える暇は無い。何の為に生きてるかって、生きる為に生きてる」と。彼女に言わせれば、あれこれ考えてしまい苦しむような人は『暇な人』ということなんだろう。冷たいようにも聞こえるけど、彼女は決してバカにして言ってるわけではなく、ただ必死に生きている・・・そんなふうに見えた。
人は生きることになんらかの意味を見出そうとする生き物・・・少なくともこの私。『生きる為に生きる』だなんて思い生きれたら、もしかしてものすごく幸せなのかもしれないな〜と、人によっては暑苦しくも息苦しいテーマを心に巡らせながら辿り着いた隠れ家(・・・っぽい・・・勝手に私がそう思っただけ)カフェにてチーズケーキをモシュモシュと食べたのは18時頃のこと。
渋谷をあとにしたのはそれから更に2時間程後。約8時間もの長い時間をよく1人で過ごしたな・・・しかも土曜日の混雑した渋谷で・・・と、すでに私の中で空白の時間になりつつあった約8時間を帰りの電車の中で思いながら、なぜか間に合ってるのに買った"洗濯バサミ"を眺めたとたんにどっと疲れてしまった。